掃き溜めは鶴

つまらないものの中にこそ、飛びぬけてすぐれた何かがあることのたとえ。

恥だが、役に立つ

22歳になった。

 

人生には、他の人にはただの平凡な1日でも、自分にとってだけは大事な区切りとなる日がある。 何か大きなプロジェクトが終わった日とか、久しぶりに会う親友との飲み会の帰り道とか、今日みたいな自分の誕生日とか。そういう区切りの日に、思うことがある。

 

自分は、大人になっている。

例えば1年前の自分を思い出して、恥ずかしく思ってしまうから。

そういう自分の変化に、大人になったなと思う。

 

 

 

最近、やめることが好きになった。

例えば、好きだと思い込んでいたことをやめた。良く思われたいと思って、逆に嫌われていたようなことをやめた。明るく振る舞うことを適度に減らして、本当の自分らしく、素直で打算的で、合理主義的に生きるように決めた。結構、楽しい。

 

22歳は、それをもっと加速させていきたい。

21までの自分が抱えすぎてしまっていたことを放り投げて、離れられなくなっていたものから離れていきたい。

社会が持っているフィクションみたいな定規じゃなくて、自分という人間に関わってくれた21年間分の人や本や出来事が作った自分の価値観に従っていきたい。

必要とあらば、友達とか野村総合研究所とか自分がここまで頑張ってきたこととか、そういう一切合切を全部捨ててしまえるような人間になりたい。

 

 

最近、だいぶ恥ずかしいくらい分かりやすく変になっている。

でも、それが厳しいとウワサの会社への就職を前に不安になってる、素直な22歳の自分です。

 

めっちゃ恥ずかしいことをしているんだけど、普通と違って恥ずかしいと誰かを笑って自信をつける生き方よりも、恥ずかしいなあと笑われる方がいいなと思えるようになれたから。

 

 

もしよかったら、これからもよろしくお願いします。

23歳になって、この記事を恥ずかしいと思えるように、頑張ります。